Between the Sheets

書道と美術と本とあれこれ

文字の偏愛と言霊の技術

8月より着任の書道教室の講師、なんとか馴染んできたところとなりました。

 

生徒さんはそれぞれ目的も熱意も違いますから、十人十色の対応ですね。自身の弟子仲間との交流とはまた違った視点を発見することも多く、何事も大変勉強になります。

 

わたしは文字が好きです、文字で表す言葉が好きです。

勿論言葉を放くことも素晴らしいと思いますが、やはり文字で書き記してある風景が好きです。

同じ想いならば、御文に認めて伝えたい。

 

一字でも、言葉になれば、文章になれば尚、意味と字形の象る風景が現れるその時に、長い年月を掛けて姿変容しながらもこんなにも多くの人の手に書かれてきた文字の軌跡を思うと、わたしは酷くロマンティックな気持ちになるのです。敬愛する三島由紀夫先生も達筆でいらっしゃいました、美しい世界観は美しいお手元から奏でられたのですね。

 

在りし日の出来事も、今この瞬間を置き留めることの素晴らしさも、文字無くしてはいつかは消えてしまう。昨今の世の中で「文字を書く」場面が少なくなってきておりますが、それでも直筆に何か宿るところ廃れないのは、言霊、文字を大切にする民族なのでしょうね。

 

吐き捨てて責任を持たないような言葉は悲しい。物凄く上手く書けなくても、思うところ大切に出来るような言葉を記すための技術として、お裾分けしていければと思っています。

 

わたしは美しい言葉を、その通り、美しく書き留めたい。

書き遺す以上その言葉の責任と、書を志すはその鍛錬です。

墨肌の色

現在取り組んでいる公募展作品、生意気を申し上げると

少しずつ方向が見えてきました。

まだまだあちこちに彷徨ってはおりますが、こう、何か、身体からむわっと湧くような、鳩尾が胸焼けするやうな、あの感じを只管構築しています。

 

書作品に限らず様々に広く文学・芸術作品に出会った時、心に留まる、とはこの胸焼けの度合いであるように思います。対峙して、良くも悪くも身体に心に反応が起きること、動かされることを楽しむのが、鑑賞でしょうか。

 

作品の作り手である側のわたしの求めるところは、構築して必然を得た、胸焼けです。

作品上では誰かを想って描く光は儚い、貴方の胸焼けを期待してのカタチなど忽ち腐ってゆくのでしょう。求めた必然の閃光に身を灼かれる、そう云う意見を持って探究しています。

支持体にプラスを施すのが絵画なのかも知れませんが、わたしはmodelingよりもcarvingでカタチを探る手間が好きです。中々如何して、妥協が無いですから。

 

 

肉を削ぎ落とし、熱を削ぎ落とし、骨のぎりぎりで露わになるカタチ。

 

みなもより下、水の底、浸みて行く行為の跡、無音に潜む、墨肌の色。

 

 

必要とされていなくても構いません、有為の奥山、目の前の山を黙って登るのみ。

結果、貴方を動かしてみせよう。

 

 

 

毎日は苦しくて苦しくて、苦しくて、充実してゐます。

 

気になる展示と魂の在り処

四十を手前に、ふと、残りの時間を考えることが増えました。

 

わたしはあと、何年生きるのかな

 

生けとし生けるもの、誰でも必ず終わりは来る。これまで漠然と「将来」の為にと、何事も節度を留意し慎ましく?生きてきたように思います。

しかし、果てさてその「将来」とはいつを指すのか。人生80年(今や90、否、100年かも知れませんが)とすれば、もう今のわたし「将来」の年代に突入してないかい?

振り返れば血汗漲る学生時代もありましたが、ほわーんと何も成し得ぬ儘この年まで来てしまいました。そして有難いことに大病を患うことも無く、毎日そこそこ幸せに暮らせております。

しかし

幸せだと、感じる想いとは裏腹に、ふと、止め処なく虚しい想いが浮かびます。

わたしの身体が朽ちて無くなるとき、僅かながらに培った知識や技術も、幸せだった想いも、血を繋げることのできないわたしには、今日一日と過ぎて行く時間はただ「消滅」へと向かうしかない。全て消えちゃうのに今の努力は何の為?将来の為?わたしは何故生きているの?

もし、魂があるのならば、何処にいるの?

皮膚を割った時滲み出る赤い血に、押せば疼く下腹の痛みに、信じられるものは今はまだ、身体だけ。その身体の仕組みとして女性であること故にか、四十を手前に過ぎた時を感じる今、塩田氏の無数の赤い糸が空間に向かって伸びるさまに、激しく激しく魅きつけられるのです。

 

7月の出張時に、この展示必ずや。

 

www.chiharu-shiota.com

あらしの夜に

台風近づいて耳が詰まる今夜。

湿度が高いと空気の振動が無くなり音は直ぐに吸収され消えるそうです。耳にはまるく篭った最初の音粒だけが残り、邦楽の音の響きに似て、また味わいがあり。

 

先日、師匠運営の一書道教室の講師を拝命しました。

平生は自身の作品制作に没頭する為の稽古ばかりでしたが、「教える」という事を通して新たな視点を持つことが大変勉強になると思い御返事いたしました。

「お習字の先生」のメイン業務はお手本を起こす事です。所謂、朱墨での添削はオマケの作業。自身の作品制作でも配置構成は考えますが、誰にでもわかりやすく伝わるように構成を作るのは、新たなチャレンジになります。これが難しい…

他、書き順やら崩しの解説やら…師匠からアドバイスをいただきつつ、手探りの指導にはなりますが、ひとりでも書道が好きになってくれるといいな。

8月より着任いたします。

 

あらしの夜も筆執りて。

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